懈怠な管理者は迷惑である
10年前に書き留めたことがあります。
優柔不断で決断力がなく、調整してほしい課題を解決できない管理者に対して不満が募っていました。
自分の戒めとしてそれまでの5年間言葉遊びして推敲していました。
管理者が懈怠(かいたい)であると課題の処理は弥縫(びほう)的になりその組織の未来は剣呑(けんのん)に陥る。遂には頽廃(たいはい)の帰趨(きすう)は避けられない。このような管理者が存在し続けられている組織は人事に陥穽(かんせい)があり組織力と陶冶(とうや)に重大な欠落がある。そういう管理者はおよそ狭隘(きょうあい)であり狡知(こうち)さを持っている場合があり憫笑(びんしょう)されるが、こういう状況のとき拱手傍観(きょうしゅぼうかん)の徒過(とか)は河清(かせい)を俟つ(まつ)が如しである。このような疎漏(そろう)の職掌(しょくしょう)は譴責(けんせき)されるべきである。
従って、懈怠こそ諸悪の根源であり直截(ちょくせつ)の譴責を逡巡(しゅんじゅん)してはならない。