日本語の曖昧さの錯覚

 喧々諤々〔けんけんがくがく〕。この言葉は、喧々囂々〔けんけんごうごう〕と侃々諤々〔かんかんがくがく〕が混同されたものである。広辞苑では第五版から日本語になった。
 サングラスをグラサンのように言う業界言葉は江戸時代からあったそうである。このように日本語は乱れて使われてきた歴史があるそうだ。正しい日本語という言い方は誤りなのかもしれない。
 改革といったときに、後退を連想する人はそう多くはないだろう。改革は現状と比べて無駄を省いて改善することを期待する。しかし、改革と言いながら中身が後退するようなことは、詐欺ではないか。どの立場でどの方向を向いた改革かが問われる。
 改革を国語辞典で引いた時に「改悪の意」などと載らないよう願いたい。言葉は意味が伝わってこそ言葉である。皆が間違って使っていても、意味が通ればそれが次第に日本語になることがある。このような曖昧な政治言葉は、定義をしっかりと考える必要がある。大多数の人にとって錯覚をさせるような説明方法は実に巧妙である。