木崎争議のこと
木崎争議は1922年(大正11年)に地主側に小作料減免を要求したことが始まりになるます。地主側との対立が深まり農民組合を結成し大きな農民運動に発展していきます。「土地を農民へ!」というスローガンで苦難に満ちた闘いになりました。
木崎村は今は新潟市北区になりますが、昔の葛塚町の隣に位置していました。
本格的な争議は1926年になります。土地取り上げが執行され、小学校児童の盟休ということになり、これにより無産農民学校を建設することになります。上棟式に五千人、落成祝賀大会に一万人以上の参加者が集まったそうです。日本初のラジオ放送が1925年だそうですので、この時代に一万人以上というのは私は非常に驚きました。いまでも無産農民学校の跡が残っています。日東道の豊栄新潟東港I.Cと新新バイパスの豊栄I.Cの間にあります。
木崎争議は1930年(昭和5年)に和解成立で終了します。香川、群馬と並んで日本の三大小作争議と言われました。木崎争議がなかったらマッカーサーの農地改革もなかったとも言われるそうです。